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講演会要旨(前編)

「弘法大師の願い」      講師 福田亮成氏

今日は、主題に上げましたように「弘法大師のねがい」として、弘法大師の教えの中身というよりは、弘法大師の生き方を通して、弘法大師の願いをわかりやすくお説きして、皆さんの参考にして頂ければと思うわけでございます。

弘法大師という名前は有名ですが、弘法大師は空海というお名前です。弘法大師とは亡くなった後(86年後に醍醐天皇より/当館註)に朝廷から賜った大師号で、同時代に活躍した天台宗の最澄も伝教大師という大師号を与えられております。鎌倉期に活躍した有名な方々も大師号を持っていますが、大師というとまず弘法大師を連想されるのではないかと思います。 この弘法大師は、空海、空と海ですから、この名前ほど大きな名前はないと思います。昔の僧侶は自分の心境によって名前を変えていったようで、弘法大師も空海に到達するまでに、教海、如空の二つの名前を名乗っていたようです。

教海は教えの大きな海に至ろうという心から、如空の「空(くう)」は仏教の悟りの言葉で、悟りの世界をありのままに自分で獲得しようという心境から名前にしたようです。これから一字ずつを取って空海というお名前になったようです。空海は別に遍照金剛(へんじょうこんごう)とも名乗っております。これは真言の教えの中にひとつの儀式がありまして、その儀式を通過する時に、大日如来という真言宗の仏と結縁(関係)を結んだところから遍照金剛と名乗られたのです。遍照はあまねく照らすということで、これは大日如来という仏の別な呼び方です。 突然に大日如来を出しても理解ができないと思いますので、少し補足しますと、仏教は紀元前4〜5世紀にインドで活躍したゴータマという釈迦族の王子様が、悟りを開いてブッダ=仏になられた。その人物の説法から仏教が始まりました。我々と同じ人間であった釈迦が、その生涯の中頃から亡くなるまでの約40 年間、人々に法を説いたわけです。その説かれた法がずっと仏の教えとして、現代まで続いているのです。残念ながら釈迦は人間である以上、死んでしまいます。歴史上よくあることですが、自分の祖先や偉人の偉業が後世になると特別視されます。

仏教の場合でも、釈迦が同じ人間ではあるが仏となった偉業から、それより過去にも、現在にも、さらに未来にも仏として現れるのではないかと、仏に対する考え方が展開します。時間・空間を越えた仏の存在を認めるようになってくるわけです。時間・空間を越えた存在を法身(ほっしん)といいます。紀元前後くらいなると、歴史上の仏に対してふたつの考え方が現れてきます。一つは父母生身(ふぼしょうじん)といって、私達と同じ肉体を持った仏。もう一つは釈迦が悟りを開いた真実に「身」という字をつけて法身。法身の仏は抽象的ですが父母生身の仏は具体的です。具体的であることの欠点は、具体的であればあるほど、時間・空間に制限されて、今現在この世にこの仏はいないわけです。ところが法身は、抽象的な仏なので時間・空間に制限されません。ですから、現代の私たちにも直結する仏として法身という考え方が現れました。大日如来は法身の仏です。大日とは「日が遍く照らす」と訳せるので、「遍照(へんじょう)」というのは大日如来のことを指します。空海は大日如来と直接関わることが出来たという心証から、自分を遍照金剛と名乗っているのです。四国の八十八ケ所巡りでは、南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)とお唱えしながら遍路をします。「南無」は帰依するという意味です。この「大師」を取ると大日如来、大師をつけると弘法大師になるのです。つまり弘法大師の奥に大日如来が直結する仕組みになっているのです。ここに弘法大師信仰の一つの特徴があると思うわけです。

さて弘法大師空海は774年から835年、平安時代の最初の頃に活躍した人物です。現在の香川県に生まれて、15歳から勉強なさり、おそらく18歳くらいに奈良に上ったようです。そして、若い頃は政府の役人になろうと、今でいう大学で猛烈に勉強をしたようです。そして彼は在学中にひとりの仏教者と出会います。その方についてよくわかっておりませんが、寺の中で勉強するのではなく、山野修行をしていた方のようです。その方との出会いによって、空海は大学を退学をして、修行者として生きる決意をしました。

そして24歳の頃、儒教・道教・仏教の三教の中から仏教を選び取るという「三教指帰」(さんぎょうしいき)を執筆をして、歴史から忽然として姿を消します。その間のことを彼の書いたものから類推すると奈良の都の近辺、飛鳥、吉野山系から熊野、高野山系、あるいは四国の地をもっぱら修行の場として山野を歩き回って修行なさったようです。その後31歳で遣唐使の留学僧として、歴史に再登場します。留学僧は30年間中国で勉強することが条件なのですが、空海は一年半で切り上げて帰国してしまいます。空海は中国で恵果(けいか)という僧に出会い密教を学んだのです。ここで密教を少しく説明しますと、いわゆる仏教の長い歴史は、4〜5つに時代区分することが出来ます。釈尊と弟子たちの時代を初期仏教時代、その後釈尊のお説きになった法に対して色々解釈の立場が展開した時代を部派仏教。次に紀元前後頃から大乗仏教時代になります。その後が密教時代になります。密教時代は大体6世紀〜13世紀の初めくらいまでになります。大乗仏教時代は、色々な展開がありました。仏教が初めて中国に伝えられるのも、仏像が現れたのも、経典が文字に表されたのもこの時期です。紀元前後のこの時期というのは大変重要なわけです。

大乗仏教の分け方は初期・中期・後期となります。後期が密教の前期に重なるのです。密教の中身について言及すると大変難しいことになりますので、歴史的なことだけ。6世紀にインドで起こった密教は、中国においても有名な玄宗皇帝の唐代に最盛期を迎え、空海はその直後の長安に赴き、唐僧恵果から密教を伝えられ、日本にもたらすことになるのです。もちろん奈良時代にも密教経典は伝えられていましたが、きちんとした教義として位置付けたのは空海が最初です。空海はこの時恵果から授かったものに、空海自身の独特な思想体系を構築して日本に伝えました。そういうものを少しく加えながら、次の展開をしてみたいと思うわけです。

西暦 時代    
紀元前5,4世紀 初期大乗仏教時代   釈迦とその弟子たちの時代
紀元前3世紀頃 部派仏教時代   釈迦の死後100年頃。法に対して様々な解釈がされた時代
紀元前後頃 大乗仏教時代 前期 仏教の出現、経典の文学化、中国へ仏教が伝わる
3〜4世紀 中期 「空」思想の体系化
5〜6世紀 後期 唯識派の成立。6世紀頃から密教化がはじまる
6〜13世紀 密教時代   大乗仏教後期と密教前期は重なる